3兄弟VSおかん道 修行日記

こどもの心が元気に育ちますように。子育て下手の私でもできた「親業」を取り入れたプライベート育児日記・不定期更新中

2009年12月

時々、
各地の講演会や 子育ての講座に
勉強しに 出かけたり しています。

ある子育て講座に来ていた お母さんが、

「わたしは どうしても
 子どもの話が 聞けません。
 そもそも、どうして
 子どもの話を 聞かなくては いけないのですか?」

と訴えられました。

講師の先生は、
「聞いたほうが 親子関係が 良くなるから。わかった?」
と言われました。

親業のインストラクターなら きっと

「子どもの 話を 聞きたいのだけれど、
 上手く 聞けなくて
 辛いのですね。」

と言ったでしょう。

聞くことは、難しい作業です。
でも、
親業のインストラクターは
いつでも お母さん達の 味方です。
(ちーまま)

長男が 幼稚園に行っていた頃は、
マラソン大会は、苦手でした。

他の子が 顔を真っ赤にしながら、
次々と ゴールしていく 姿を 横目に
まだ 点ほどにも 現れない わが子を
やきもきとした 気持ちで 待っていました。

どうして もっと 早く走れないの?
その 重いお尻を 引きずるような、ドタドタとした 走り方
ムッチャ かっこ悪いなあ~

そして
小学1年生の マラソン大会が 終わってから、
我が子の あまりの 足の遅さに 絶望し、
親子マラソン大会に 参加することを 決意しました。

2km、親子で 手をつないで ゴールするのです。

まあ 2kmぐらいなら、何とかなるかな。
わたしも 決して マラソンが 得意ではないけれど、
息子よりは マシだろう。
コレを 機に、早く走れるように なってほしい。

結果ー
ちょっとは 練習していたのですが、
しんどい~
長男は 途中で息切れして、ハアハア立ち止まりそうな 母親を
その場駆け足で
文句ひとつ 言わずに、
じっと 待っていてくれていました。

最下位ーーー。

それから
マラソンでは どんな結果でも
すごいと思える 母親になりました。

恥ずかしいけど、
よい経験になりました。
(ちーまま)

運動会ほど 華やかで ないけど、
ピンポイントの 行事のわりに
存在感が 大きく
独特の 雰囲気を 持っている
マラソン大会。

子どもの 間でも、様々な 思惑が 飛び交うようです。
順位が しっかりと 出てしまうからでしょうか?

マラソン大会を 心から 楽しめるように なったのは
ここ 3~4年ほどでしょうか。

その 精神性の 高い競技を、
子ども自身の ものとして
割り切れるように なってからです。

幼稚園の マラソン大会で、
自分の 限界を はるかに 超え、
母親である わたしも 見たこともないような
辛そうな顔で
唇をゆがめて 一心に 走る 我が子。

声の 掛けようが ないほどに
眩しくて、
だけど、自分の 手元から ちょっと 離れたような
淋しいような
そんな 思いを 感じて、戸惑った 覚えがあります。

この子が 今、確実に 自分の道を 自分の力で
進んでいる。
その 苦しみは、この子自身のもの。

母親は この子の 道の中では 無力なものだと、思い知らされたような、
そんな気がしました。

毎年
マラソン大会に
子どもたちは、それぞれの目標をもって
臨んでいます。

前年度から、確実に 順位をアップさせている お兄ちゃん。
ライバルに どうしても 勝てなくて、悔しい思いを 暖めている 三男。
ひょうひょうと 冷静に楽しむ 二男。

「あ~楽しかった。
 親は 子どもが、一生懸命に 何かをやってる姿を見て、
 応援するのが 大好き!
 とても 楽しいものなんよねえ~」

子どもは 意外と プレッシャーを感じている様なので、
こんな 言葉を かけました。

来年もがんばってね。
(ちーまま)

結局 わたしは
お金について、とても慎重に 考えるタイプのようです。

お金は
生きていく上で とても大切な ものだけど、
お金を中心に 物事を考えて 欲しくない。

それが 純粋に 出来るのも、子どもである 今だけかもしれません。

世の中の 揉め事の ほとんどには
お金が絡んでいるし、
お金は少なからず 人のこころを 惑わします。

こころの代償であるお金が、こころを支配する事があるーー事実ダッ

今回、初めて
お祝いやご褒美、労働の代償としてのお金でなく、
慰謝料としてのお金、そういう側面があることを子どもたちは学んだことになります。

さて、我が家の子どもたち。
2千円はおじいちゃんに返すと思っていたようでした。

「お金を返すと、失礼になる時もあるんよ。
 お金の使い方って、色々難しいからねえ~

お金を返さないとわかって、色々と使い道を考え出しました。
こんな時、みんなの頭は冴えています

この2千円は三人で使う方向で話しているようです。
(ちーまま)

酔っ払いの おじいちゃんに 絡みつかれ、
思わず泣き出した二男(小4)に 渡された千円札。

わたしとしては、
コレシキの事で 泣いてしまい、
結果的に お金を出させてしまった、という事を
二男にちゃんと受け止めてほしい。
「アンタが泣き止まないから、おじいちゃんが困ってお金をくれたんよ。」
口調がヤヤ攻め気味になっている。

”泣いたから=お金がもらえた”んだけど、
”泣いたら=お金がもらえる” と思って欲しくない。
泣かなかった三男(小2)が、くやしい顔をしている。納得できないよなあ~
「千円出さないと、泣きやまない子だと思われたって事やね。」
「・・・・」
お金を返してこさせようか・・・。

と、すぐに義父を送っていった長男(小6)が実家から戻ってきた。
あっらあ 千円札をもっていた。
こうなると、お金は返せないなあ~

「おじいちゃんは、アンタに肩をかしてもらって、嬉しかったんやね。」
長男はちゃんとわかっているから、お金にはこだわっていない。

「本当は、おじいちゃんは大好きな孫に泣かれて、どうしたらいいか、
とっても困って、それでアンタに何とか機嫌を直して欲しくて、
それでお金をくれたんやね。」
「だって、ボクは本当にはじめからイヤやったんやもん・・
二男は現場を思い出して、また泣きそうになる。
「そうだね、アンタはそれ程 イヤやったんやね。」

納得できないのは三男。泣いて怒った人に なんでお金がいくの?

千円は大金だ。難しいなあ~

「とりあえず今日はもう遅いから、明日考えよう。」
2千円をピアノの上に置いて、子どもたちに 早く寝るよう促しました。

この話、またまたつづいていいかしら?
(ちーまま)

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