私が あなたに 聞いてと 頼んだのに
あなたが アドバイスを 口にしはじめると
あなたは 私のお願いしたことを していないの。

私が あなたに 聞いてと 頼んだのに
あなたが 私が そんな気持ちになる必要はないと 説明しはじめると
あなたは 私の気持ちを 踏みにじっているの。

私が あなたに 聞いてと 頼んだのに
あなたが 私の問題を 解決するために
何かしなければならないと 思ってしまうと
あなたは 私を裏切るの
変に聞こえるかも しれないけれど。

聞いて! 私が お願いしているのは あなたが聞くこと
話すことでなく することでなく ただ
私の話に 耳をかたむけて。

それに 私は 自分のことは 自分でできるの
私は 無力では ないんですもの
私は 失望しているかもしれない
足元が 安定していないかもしれない
でも 無力では ないのです。

あなたが 私に 何かをしてくれて
それが 私が自分でできることだったら
あなたは 私の恐れと 不全感を 作っていくのです。

でも あなたが それがどれほど 理屈に合わなくても
私の感じていることと 私が感じているという事実を 受け入れると
私は あなたに 理解させようという努力をやめ
この 理屈に合わない感情の背後には 何があるのかを
理解する仕事に 向かうことが できるのです。

そして それが何か はっきりしたとき
それに対する答えは 明白で
私には アドバイスは いらないのです。

理屈に合わない 感情も
その背景に 何があるかが 理解されれば
その意味が わかるのです。

多分 これが ときに ある人にとって
祈りが 意味をもつ 理由なのでしょう

なぜなら 神は沈黙し
アドバイスを出したり
物事を直したり しようとしないから。
神は ただ 耳を傾け
あなたに 自分で させるのです。

だから どうぞ 聞いて
私の話に 耳をかして下さい
もし 話したくなったら 少し待って
自分の番まで・・・
そしたら 私が あなたの話を聞きますね。

~「ゴードン博士の人間関係をよくする本」(大和書房)より~