2012年05月

2012年05月31日

消費システム

新聞の折り込みチラシは、必ず目を通す。
昨日198円で買ったレタスが今日158円だとショック。朝からちょっとした無能感に浸る。
同じものなら、一円でも安く手に入れたい。

この、少ない費用でより多くのものを手に入れたいという”消費システム”の考え方が、生活の全てに来たしているそうだ。
少ない労力で 最大の効果・報酬を手に入れる。

公共サービスの受給は然るに
学校のPTAの役員の仕事から大学での単位取得まで、
全てを損得で考える。

先生への質問は、
「これは、試験に出ますか?」

全ては”費用(労力)”対”効果”。これらが消費社会による合理的な考え方によるものだとすれば、妙に納得がいく。

だけど、そんな風に割り切って考えてしまうことに 何だか抵抗がある。
(もちろん、レタスは安いほうがいいが・・。)
PTAでも、子ども会役員でも、消費型の、ただ”与えられた役割をこなす”では人は育たない。
第一、楽しくない。

いや、まてよ・・
「これは試験に出るよ」「そんな事していたら、捕まるよ」とか「内心点に響くよ」と言われ、
「お手伝いをしたら、おやつをあげる」という 環境は
消費システムそのもの?
労力を モノや点数・お金に変えることをしているのは、大人たちではないだろうか。

自分の中で、ビビッと湧き起きる
「これができた」「ああ、わかった」「役に立ててうれしい」という満足感や達成感。
それらをただ純粋に味わったり、誰かと共感する体験が乏しいまま
代価を与えられると、
素直な子どもたちは「そんなものかな」と合理的に考え、
代価がないと 何もしないようになるのではないかな。

社会全体に消費型が横行しているように見えるが、
せめて損得勘定は、
もう少し長いスパン、5年後や10年後のことや
家族全員を取り巻く環境のことも考えて、
それから、最も大切な”幸せ感”も考慮し 計算してみたい。



oyagyo70z at 21:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年05月29日

変わらない

自分を変えたい と思っていても
変われない・・・という事がある。

変わりたいが、変われない。

実は、変われないのは、
それなり に意味を持っていることが多い。
変われないのではなく、変わらない。

変わらないことで、周りとの微妙なバランスを保っている。

そこに第三者が不用意に突っ込んで
ムリに変えようとすると、
折り合いをつけていた他とのバランスが崩れて、かえって生き難くなることがある。
変わるには、
多少なりとも生じる周りとの摩擦に耐えるだけの こころの強さがいる。

だから、
変われないのではなく、
本当は変わらないようにしている場合があることに気づく。
その人にとって、意味のあることなんだから、
他人が ”あなたのために” 変えようと思うことは おこがましいことなんだと思う。

自分の居場所の中で、とりあえずなんとか溶け込んでいる状況を変えないために、
変わらないことを選んでいる。

そうすると
変わりたいのに変わらない自分が、
本当はさほど変わりたくないのかもしれない、などと
一向に減らない 夫とわたしの体重計のメモリを見ながら、考える。



oyagyo70z at 16:43|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2012年05月28日

裏山探検

いつもは、子どもの帰宅時間を さほど気にしないが、
裏山に登ると言った時は、さすがに気になる。

高台の住宅地から裏山に抜ける道は、子どもにとってちょっとした 探検コース。
3~4名の友達と、「探検に行く」 と言って出て行った三男が、6時になっても帰ってこない。

「裏山に行くのは危ないから、行くなら 早く行って 早く帰ってきてね。」

学校から帰ってくるなり、探検の許可を得にきた三男に そう言うと
「大丈夫。マモリーノを持って行くから」 と、子ども用の携帯電話を持って行った。

遅いな。大丈夫かな?他の子どもさんたちの親も 心配してるんじゃないかな?
きっと首謀者は三男?早く帰ってきたらいいのに。

6時半になった。
もうそろそろ、帰ってくるかな・・・
7時
さすがに遅すぎる。電話してみる。
”お客様のお掛けになった番号は、電源が入っていないか、電波の届かないところにいます”

あちゃー!!!
裏山は行きなれた道。めったな事はないとは思うが、
でもここは、最悪の事態を想定。誰かが怪我をしたとか、道に迷ったとか・・・・。

「ごめん、ちょっと三男を捜してきてくれる?携帯つながらへんねん。」

ソファで本を読みながら、晩ご飯を待っていた長男と二男に捜索を頼む。
しょうがないなあという顔で、長男と二男で、捜索コースの相談をしている。わたしは、7時半から予定していた地域の会合の担当者に連絡し 事情を話す。

家に一人になり、さあ、どうしようか、と思った時、三男が帰ってきた。
「ああ、帰ってきた・・・、あんた!遅いからお兄ちゃんに捜しに行ってもらったんよ!予定していた会合にも 『子どもが帰ってこないから捜しに行くから遅れます』 って。みんなに心配かけてしまったわ」

聞けば、三男は 帰ってくる途中で、二男と会ったらしい。
二男は 長男に三男の帰宅を伝えるため、そのままコースに向かったそう。

三男は裏山からはとっくに帰ってきており、近くの用水路で、ザリガニの赤ちゃんをすくっていたという。
携帯が繋がらなかったのは、充電できていなかったから・・・。

「お母さん、心配かけてごめんなさい」

自分の帰りが遅かったことが 大騒ぎになっている。バツの悪そうな三男。

「ああ、暗くなってきたわ。お兄ちゃんたちのことやから、大丈夫とは思うけど、心配やわ。」
あんたのせいで・・・・とはあえて言わず、捜索に出た二人を心配する。
祈るような三男の顔。

長男と二男は 一度行き違った後、何とか帰ってきてくれた。
二人とも、呆れた顔で、「多分こうなるんとちゃうかなあと思ってた」「やれやれしょうがないなあ~。」

まずは、三人とも無事でなにより。

二人から大目玉をくらいかけている三男を、
「お母さんが心配やったから捜しに行ってもらったの。ありがとうね。」 とかばう。

”お母さんに心配かけ、お兄ちゃんに迷惑かけて本当に悪かったな”と、
三男が心底 思ってくれることが、一番大事。

実は 長男も二男も 大騒ぎは経験済み。
これも母親の通過儀礼。わたしの対応も上手くなっている(多分)。



oyagyo70z at 21:26|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

2012年05月27日

ある日突然

「親業」 には、
子どもに 愛を 効果的に伝える手段として、
「聞き方」と、「伝え方」の 具体的な方法がある。

どうすれば それが ”実践” できるのか、
こんな時 何と言ったら 子どもの”力” に なれるのか、
その ”セリフ” まで考えるので、家でとりあえず やってみることができる。

親の愛情を ”実感” として感じる事に
違和感を感じていた私は、
親業を学ぶ中で、その原因が、”コミュニケーションを阻む12の障害” によるものだと知り、
長年の謎が解けたように 肩の力が抜けて、
全てのことに 合点がいった。

親業の講座を受講された方は
「今まで子どもに良かれと思って、真逆のことをしていたんですね。だから、子どもとの関係が悪くなったんですね・・」 と、しみじみ語られる事が多い。

子どもに良かれと思って・・・・・

この言葉は ウソではなく、本当にお母さんたちは、一生懸命に 子どもを育てている。
どんな親でも、子どもの幸せを ただ願っている。

だけど、子どもの幸せを 願うための行為のはずが、
結果的に 子どもが自立しようとする力を育てなかったり、考える力や思いやりを育てなかったり、
時に、子どもを精神的に追い詰めることがあること・・・
これはやはり 現実だと思う。

少年の問題が ある日突然 起こるのは、
親が気がつかないうちに、日々のちょっとした言葉の積み重ねで、問題が深刻化しているからではないだろうか。

この現実を受け止める。

親業インストラクターとして
この作業のお手伝いが 少しでも多くできたらと願う。
微力ながら、同じ親の目線で 一生懸命 考えていきたいと思っている。

oyagyo70z at 08:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年05月25日

マルトリートメント

図書館で借りた本のなかで、
「マルトリートメント」 という言葉を知った。

「不適切な養育」 という意味で、
広義の「虐待」にあたる。


一般的な 子育ての場面で、
「子どもの為に 良かれと思って・・」 、日常的に行われている現象もある。
大人も子どもも 自覚はないものも含まれる。
日々、間違いをし
我が子をむしばんでいる例は多い。

「虐待」 までいかなくても、親は時に”不条理感”を
支配下にいる 我が子に ぶつけることがある。
それら一つ一つは 些細なことでも、
これらが 積み重なると、
子どもがゆがみ、親殺しにまで 走ってしまう。
これも「マルトリートメント」に含まれる。

『親の愛は、なぜ伝わらないのか!?』
ごくふつうの子ども、恵まれた家庭の子どもたちが、親殺しにまで走ってしまう原因を解き明かす!
(佐久間真弓・藤崎りょう 宝島社2008年)

著者は2005年5月に起こった、「板橋両親殺害事件」の被害者の少年の裁判にかかわる。そこで、「マルトリートメント」「不適切な養育」 という言葉を知る。子どもに対する親の養育に、「適切」と「不適切」があるならば、何が「適切」であるか、母親なら 知りたいと思うだろう。

残念ながら、「マルトリートメント」 は現代の子育ての 日常のいたるところで行われている。多くの親が無自覚に行っている「力のしつけ」、「過保護で支配的なしつけ」もこれに当たる。

わたしは、今の親が子育てを難しく感じるのは、何が 「マルトリートメント」に当たるのか、明確に理解していないことにあると思う。
勉強や仕事は、一般的に、がんばったらがんばるだけ 成果が上がる。
育児ではそうはいかない。
がんばっても上手くいかない時もあるが、がんばらなくても上手くいく時もある。

方向性がわからないほど、不安なことはない。



oyagyo70z at 21:33|PermalinkComments(2)TrackBack(0)