3兄弟VSおかん道 修行日記

こどもの心が元気に育ちますように。子育て下手の私でもできた「親業」を取り入れたプライベート育児日記・不定期更新中

2012年07月

なぜ、こんなにたくさんの コップを
毎日毎日せっせと洗わなければならないのか。

しかもガラス。高さがあって奥まで洗いにくい、お客さん用。
えっ?お客さん??来てた?って
来てないヤン!!

要するに、子どもたちがガラスのコップで 麦茶を飲んでいるのだ。

夏休みは5リットルのやかんで 麦茶沸かしている。一日何回?せっせと煮出す。

それにしても、食器棚のコップ、マグカップも全部 流し台に移動しているではないか

そうだ!わたしメッセージ!
「ガラスのコップを使わんとってよ」 あっ、これは、あなたメッセージね。

「ガラスのコップは、洗う時に、軽い汚れでも スポンジに洗剤つけて 中に手をくーって入れて 洗らわなくちゃきれいにならないんよね。毎回こんなにコップ 洗わんといかんのなんて・・うんざりよ」

わたしメッセージだと、こんなもんかな?ちょっと非難がましい?
そうだ、第3法を使ってみようかな?前にも わたしメッセージを言ったことあるし・・。

「コップのことで、話があるンやけど・・・」

3人の子どもがいる前で、こう切り出してみた。
さあ、紙を用意して・・・
すると、
「ボクはいっつも洗ってるで」 二男。たしかにコップを拭いている姿を見たことがある。
「ボクは大きな透明のプラスティックのコップひとつだけ」 と長男。ああ、あれね。
二人の視線が 一斉に三男に向かう。

バツの悪そうな、三男。
第3法は決裂・・・というか、
まあ、ガラスのコップで美味しく麦茶をのんでも、それもまたいいか。
ちゃんと解決していないんだけど、それでもなんとなく、気分が軽くなっているわたし。

先週、親業一般講座が終わった。
約2ヶ月間、長いような短いような、特別な時間。

わたしはもう10年も前に受けたのだが、未だにあの時の空気を感じることができる。

毎回、インストラクターであるわたしも、学ばせてもらっていて、美味しい限りなのだが、縁あって我が家に来てくださった方との繋がりや意味を感じながら、しばらく 余韻に浸っている。

学びの機会を得るだけで、受講生の方は 自ら学んでいかれる。
どんどん深く。

今までの生き方、疑問点など、体験してきたことを 検証されているのだろうか。
ゴードン博士の言葉は どれもハッとするような衝撃で、きっと目からウロコが ぽろぽろとこぼれ落ちるような体験をしておられるのだろう・・・・。
講座が終わった後、わたしは いつも その美しいかけらをそっと拾い集め、フッと風に吹き飛ばす。

今回も、静かに、劇的に変化されていったように感じる。

学び取っていかれる姿勢は感動もので、本当に楽しいのだけど、
ご縁とは言え、インストラクターをしている私の未熟さに、時におこがましい気持ちになることもある。

本当に ありがとうございました。
それぞれが、自分らしく親業を実践していきましょうね!

我が家から歩いて10分もかからない場所に、
氏神様を祀る神社がある。

天照大御神が祀られているこの神社は、
毎年、夏祭り、秋祭りが行われ、
秋祭りはダンジリの後ろを、町中の老若男女がぞろぞろと練り歩き、同じ掛け声をかける様は、見ているだけで高揚する、名物の行事となっている。

夫はここが大好き。
三人の子どもたちは、お宮参りをした。

近所に住む夫の父親が、毎朝ここの掃除を始めてから、もう 何年になるのだろうか。
今では数名の方と共に、その後のラジオ体操までが 朝のオツトメとなっているようだ。

さて、夏休みに入り、
去年と同じく 三男(小5)がラジオ体操に参加している。

いつも、
「6時20分に起こして」
と言ってくるのだが、この前から、
「5時20分に起こして」
と 時間が変わった。

おじいちゃんと一緒に 掃除をしたいらしい。

5時20分に起こしても、うつらうつら・・・・一旦起きあがっても場所を変えて寝てしまい、
なかなか、掃除に参加できない。

小学生にとって、5時起きはキツイんだろうな。
でも、なぜか参加したいのね。

「おじいちゃんが好きなのね。」

本人もわかっているようで、
「ボクな、うちでは掃除がきらいなんやけど、お宮さんの掃除は楽しいねん。」

やる気というものは、色んなところからやってくるものだと
実感。

おじいちゃんを見ていると、模範という言葉を思い出す。

連日報道されているいじめ問題は、
あまりにも各社マスコミが とりあげていて、
落ち着かない毎日を過ごす生徒も 可哀想だなと 思いながら、
関心を寄せずにいられない 当事者意識が いつまでも切り離せない。

これは、子どもを持つ母親なら皆、同じだろう。
”いじめ”という
それは、どこにでも 誰にでも 起こりえる、また、多かれ少なかれ多くの人が経験した問題に対する 恐怖心と古傷の疼きからくるものと 思われる。

もともと心配性なわたしは、子どもを育てる事になったときに、
「もし、この子が将来いじめられたらどうしよう・・?」
などと、おっぱいを飲ませながらも よく思ったものだ。

いじめは どこにでもある。

大人社会だってある。

どうも 人間のこころには、妬みや嫉み、異質なものを排除したい、優越感に浸りたい、自分の中の愚劣感を感じたくない、という気持ちがあって、
それはわたしにも、当然あって、
それを誰かに触発されると、何となく イライラしてしまう。

まあ、それだけでは”いじめ”にまで、ならないか・・・。

いじめる子は、いじめられている。
いじめられていない子は、いじめない。

わたしは、これは 本当にそう思う。
自尊感情の高い、自分で自分が好きな子は、決していじめない。

いじめられる

これは、目に見える暴力、圧力にとどまらず、その子の人格をないがしろにするような、一切の行為を示す。

親は 知らず知らずのうちに、
子どもを追い詰めることがある。

しかし、そんな親もまた、自分自身を真に受け入れられたと実感できた経験がないのではという想像は 容易にできる。
哀しくなってくる。
根深い問題。
是非、親業を勉強して欲しい。

夏休み恒例の、地域での 中学PTA懇談会。
保護者と 教頭先生他 数十名が出席。
学校での生徒の様子の報告の後、学年に分かれて 意見交換会をする。

わたしが住んでる兵庫県西宮市では、今年の中学1年の高校入試時より、入試制度が大きく変わることが決まっている。

夏休み前の、担任の先生、保護者、本人のいわゆる3者懇談でも、学力面の指摘が多かったが、
その為の準備として、例年よりしっかりと 学習指導をしているとの事だった。

初めての期末考査で、緊張し、頭が真っ白になってしまったという二男(中1)の点数は 散々で、
だけどそんな言い訳は 先生からピシャリとはねつけられ、
わたしとしても、かばいようがない程だった。

まあ そういうことだから、今からしっかりと勉強するようにと、今回も熱が入る。
頭が前のめりになるように やや怖い顔をして 真剣に聞いているお母さんたち。

「宿題は、8月1日までにやるように、生徒たちには言っています。学習指導内容については それぞれに配っていますが、見ていただけましたか?家でも、しっかり指導 お願いします」

うんうんと、一斉に頷く 心配顔。
しっかり 言わなくっちゃ という意気込みがムンムンしてくる。

「そして、宿題が終わった後は 何でもいいので、自分から取り組んで課題をさせてください。”自分から” ですよ。」

なるほど。勉強も自主性が大事だから、それも 出来るように指導して、と言う訳ね。
大きく納得する 保護者。

中3の夏を過ぎてから エンジンがかかって 第一志望に合格したという 親業の受講生のご子息の例を いくつも知っているわたしとしては、
親子の 健全な関係と 本人の”やる気”こそが 全てと心得ている。

不安気な母親たちの表情と、二男の級友たちの顔が なんとなく頭に浮かびながら、家路に着く。

さて、我が家の二男はクラブに夢中。やる気が みなぎって楽しい時だ。
確かに勉強も心配だけど、今はこの集中力とがんばりを 大事にしたい。
集中力さえあれば・・・後はそれを学習面にスライドすればいいんだから!

「先生が、8月1日までに 宿題を終わらせるように指導してるって、言ってたよ。」

それだけ伝えておこう。

それにしても、8月1日までに あのボリュームの宿題を終わらせて、それ以降は子どもが自分で勉強をするのを見守る・・なんて、
それは母親のやることが、真逆ではないのか?

子どもはそれまで、さんざん勉強しろと尻を叩かれているのなら、
その後 自分から、勉強をやろうと思うだろうか?

う~ん
上手くやるには、結構、コミュニケーションテクニック要りますよ~きっと

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