3兄弟VSおかん道 修行日記

こどもの心が元気に育ちますように。子育て下手の私でもできた「親業」を取り入れたプライベート育児日記・不定期更新中

2012年10月

「塾に行かないの?」

中3の長男は、そろそろ  高校受験に向けて エンジンがかかりだした 様子だ。

実は、これまでも
勉強のことが とっても 気になっていた わたしは
イマイチ勉強している気配のない長男に、内心 とっても やきもきしていたが、

ようやく、
”もう そろそろ マジに ならな、あかんなあ” と思ってきたんかな?
ちょっと、ホッ

2学期の最初の実力テストが 悪かったので、
中間テストは、そこそこ 頑張っていた。

最近は ”自主学習ノート” と称して、数学の特進問題集を解き、
毎日 教科担任に提出している。

安心するとともに
欲が出てきた わたし。
せっかく その気になったのだから、もっと環境を整えたら
さらに、グングン 成績アップ 間違いなし

学習塾通いを 提案する。

ところが・・・
「塾に行っても、別に変わらないやろ。やることは一緒や。」

ええっ、せっかく やる気になってきた、追い上げの時期。
お金の力を借りて、環境を整えるのも一案なのに・・・

まあ、「特に新しいことを教えてくれるわけでもない」、長男の言っていることは、もっとも。

だけど・・・。

ジタバタとしているのは、わたしなんだな。

”高校受験も 学校の勉強さえちゃんとしていたら、大丈夫”なんて
今まで 散々言っていたのは、
実は わたしなのに、この期に及んで ジタバタとしている。

長男は わたしよりも、うんと ちゃんとしている。

今まで、なるべく彼の人生を取り上げないように、心がけてきたつもりだけど、
ちゃんと、
自分なりに、
彼なりに、
自分の人生を歩んでいる。

きっと、勉強に対しての、手ごたえを
自分なりに 感じているのだろうな。

なんだか、嬉しい。

最近、二男(中1)と大喧嘩をした。

数学のテスト直しが原因。

些細な事から、折り合いがつかなくなって、
ムキになってしまった。
すると二男も、反抗的になって、
そうすると、わたしも、押さえれいられなくなって・・・

最悪。

二男はわたしの弱みを知っている。
泣き喚いている姿は、まさに、”子どもの力” を思い切り使っている!

このまま、子どもの意のままに屈するのは
何ともくやしい
かといって、怒鳴るコトの”リスク” も頭をよぎる。

檄を飛ばすつもりが、関係が悪くなってしまったら、嫌だ。
一か八か。

怒られて育ったわたし。
怒ることに、すごく 抵抗がある。でも 怒らずにいられない。
怒るのも、覚悟がいるんだよなあ~

もう収集がつかないほど、全身で のたうちまわって 反抗を表現する息子。
ラチがあかないので、
とりあげず お風呂に入ることにする。

あれれ・・・
二男、なんと、風呂場のとなりの洗面所まで追いかけて
のたうち回っている。
まだ、何か言いたそうだ。

親から逃げるどころか、追いかけてくる息子にびっくり。

相当、わかってほしかったんだ・・・・。

急に息子が 可愛く思えて、お風呂場の扉越しに
彼の気持ちを 能動的に聞いてあげた。

しばらくして、落ち着いた息子。

なんか、まあ、喧嘩を 引きずることもなく、
元の親子関係に あっけなく戻る。

あれ?お母さんのこと 怒っていないの?
もっと、嫌な雰囲気が残るんじゃないの??

わたしは、親とこんなに こころを開いて 喧嘩をしたことがなかった。

「親業」 を学ぶ中で、
”子どもの問題” と ”自分の問題” を 分けて考えるトレーニングを
日々行っている。

たまに、混乱することはあるが、
考え方の”指南書”があるので、
混沌とした状況からも、抜け出すことが出来る。

最近、
”子どもの問題” と ”自分の問題” は分けて考えられるのだが、
”自分の問題” と ”自分の親の問題” を分けて考えるのが 苦手な事に気づいた。

わたしは、巻き込まれやすい。

”親の問題” は ”親の問題” なんだ。

親が、”自分の問題” が苦しすぎると、知らず知らずのうちに 子どもを巻き込み
真の問題が表面化しなうように、問題をすり替える。

犠牲になる子どもは、多分 優しい子どもなんだろうな・・・。

子どもも 親も 無意識的に 行っているので、
問題が すりかえられている その事実に なかなか気づかない。

いや、それはもしかして、うすうす気づいているのに、
気づかないように しているのかもしれない。

でも、やっぱりそれは、その人の 人生の問題であり、課題であり
そのうち、取り込むべき時が、ちゃんと訪れる気・・・がする。

いくら ”愛” があっても
所詮、人間・・・利己的な感情は、消すことができなんだなあ~。

わたしも、子どもも、親も。

だから、問題を 分けて
巻き込まれすぎないように、付き合うことが とても大切

それが 出来るか出来ないかで、
人間関係が 大きく変わってくると、改めて思う。

長男(中3)と二男(中1)2学期の中間考査が、先週末あった。

長男は、市内でも人気のある 高校の受験を目指している。
夏休みは わたしが見ている限り、勉強に身が入っていたとは 思えない。
夏休み明けの 実力テストも、思ったほど 芳しくなかったようだ。

志望校を決める リミットが 近づいている。

まだ、受験するための 内心書の 点数が足りない。
定期考査の点数を 上げる必要があった。

夏休み中にあった 高校の学校説明会で、
のびのびと 自由な校風と、
勉強も クラブもオールマイティに こなす生徒たちが 溢れる校風に
惹かれた長男。

中間考査の結果は・・・?

入試まであと 半年。
せっかく行きたい学校があるのだから 親としては、頑張って応援して・・・
・・と思わなくもないが、
いいや。

やっぱり、やきもきするのは ゴメンだわ。

親がお尻をたたいて勉強させて、たとえ合格したとしても
その後、また3年間
同じコトを しなければならないなんて、

そんなのは、絶対にイヤ

そう考えると、”気晴らし” と称し、ゲームに昼寝、読書だらけの
のんびりした 生活態度も
あまり 気にならなくなってきました

子どもの人生は 子どものものです。

幼い時から、
誰かに ”強要” されることに、とても敏感だったわたし。
気持ちや考え方を 指導されても、
完全に 上の空だったし、さめていたし、
それは、他の何者にも コントロールできない
”自分”というものが
確かにあると、意識していたのからかもしれない。

”自分”は、わたし自身にも、コントロールできる物ではなく、
ましてや、親の強烈な圧力にも 決して屈しない 頑固なものだった。

でもそれは、決して 「何が何でも自分の思い通りにしないとイヤだ」 というワガママでいうわけではなく、
ただ、”自分自身” は その存在を 否定 されなければ、
あわよくば存在を 肯定 してくれれば それだけで満足する、とても単純なもののような気がする。

それさえしてくれれば、本当に聞き分けの良い、いい子だったんだよ、わたしは。

でも、それが わからなくて、
こころを強要するような、態度、言葉、ガンジガラメ には、
強く反発、抵抗してしまう。

わたしは 誰のモノにも なりたくない。
わたしは、わたしでいたい。

ただ、わたしは自分と同じくらい、他の人にも敏感で、
争うことが とても怖かった。
特に親には弱い。

親の意に添えない自分を、わたしは何度 「親不孝な娘」 と責めたことだろう。

親業に出会って、わたしは救われた。
わたしが 自分の考えや行いは、他人から強要されるよりも 自分でよいと思ったことをしたいと思うことは
人として普通のことである、とあった。

ちゃんと言ってくれれば、他人を理解し、その人の為にできることはしたいと、思っていること。
また、わたしが一番のぞんでいた、”ありのまま” 受容されたい気持ちも 当然のことだった・・・そうだ。

そして、親が娘の為にと、毎日毎日非難、命令、説教、指示したことは、岩の上に落ちる水滴のような、目に見えない破壊的な影響をわたしに残していた・・らしい。本当にそうだ。わたしはかなり 自尊心が 低い子だった。

自分が生きてきた中で、常に抱えていた 矛盾、葛藤

親の 愛情を 望む火の玉のような 激しい感情と、
全てを 支配されそうな 親の 迫ってくるような愛情の 窮屈さの
2つの正体がわかった。

人間というものの本質、わたしの抱えていたものが、全て 異常ではなく 皆 多かれ少なかれ 持っている 感情であるとわかり、本当に 救われた。

やっぱり、わたしは、普通だったんだ。
自分を強く 肯定できた。
自分の中で 渇望していたものが 何であるかはっきりとわかったこと、
自分に足りないものが 何であるかわかったことは、
それからの 人生を はるかに生きやすくしてくれた。

そして、これから、どう生きていくか
それは わたし次第。

親業に出合った事、偶然にも引き寄せられたことは
全て大いなるものの お導きのように感じる。
全てを肯定できる。
本当に 感謝している。

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