最近、実家の母とは 疎遠になっている。
あんまり 会っていない。
だから あんまり 話してもいない。

昔から そうだったわけではなく、
むしろ、仲は 良かったかも・・・。
一緒に買い物に行ったり、展覧会、紅葉狩りにも行った。
旅行に 行ったこともある。


親としての 自分に 自信が持てなくて、学びはじめた”親業”。
だけど、”親業”を学び続けることは、自分の親の子育てを 否定することであり
実家にいる時は特に、親を 裏切っているような、後ろめたさを 感じていたりした。

聞き方を マスターしたことで、親の話を 聞けるようになり、
表面上は 親子の関係は 穏やかなものになっていた。
 
ただし、わたしが 親の主張を 意見を さし挟まずに 能動的に聞いているときは。

わたしが 親に 本心を語ることは ほとんど無かった。

聞いて欲しいことは、山ほどあった(たぶん)が、そんな望みは 持たない方が 身の為。
絶望感で いっぱいになることを、とっくの昔に 学習している。

そんな私が、”親業”を実践するうちに、
時おり 自分が 感じていた ”生きにくさ” は
他人の評価を 得たい、 ”ええかっこしい” と、
そんな私を 何とかしてくれない周りの人を 非難してしまう ”依存心” によることに気づいた。

私には、親に 誉めてもらいたいという 欲求が 根強くあった。

この事に 気づいた時、既に わたしの中には
自分の意思に基づいて生きたい という 欲求が 湧き出るように しっかりとあり、
この 2つの欲求の中で、苦しんだ。

今までの自分の半分を 否定されるような、もぎ取られるような、
本当に、身が引き裂かれるように 感じて、何度も泣いた。
自分の中の親の大きさに、驚いた。

でも、もう”イイ子” は卒業したかった。

最近、母親の呪縛にくるしむ 娘の本が 発刊されていて
初めて読んだとき、
ああ、私だけでなかったんだ、イイ子でなくても、いいんだ
と 気持ちが軽くなったのを 覚えている。

あれから少し、時が経った。

イイ子をやめることを 責めていたのは、
私自身が 自分を 許せなかった だけなのかもしれない。

母は 私を 責めていない。