わたしの49回目の誕生日の朝に、
母から届いたメール。
”誕生日おめでとう”に 添えられていたことばは
あまり親元へ帰ってこない娘への明らかな恨みに聞こえて、
完全に気が滅入ってしまった。

母は 娘であるわたしと あまり会話が出来ないことが”淋しい”のだと
頭ではわかっていても、
娘に対して、もう思いっきり支配的で 脅迫的な言い方しか 出来ない人だから
それは、幼い日からの、あの鋳型にはめられていた生活の 窮屈さを思い出させて
わたしは、過剰反応してしまう。

本当は、わたしももっと 親元に帰りたいんだけど、
親の言葉に傷ついてしまう自分がいて、
もう、けっこうダメージを受けてしまって、
一週間くらいは落ち込むから、距離を置かせてもらうことに決めた。

でも、もちろん、母と娘だから
お互いを思いやる愛情はあるんだけど、
不機嫌な母に会うと、必ず傷つくから、自分を守ることにした。

わたしが「親業」を知って、自分も親の役割を無事に果たそうとしたけど、
一番難しかったのは、問題の分け方。

子どもに”偽りの受容”をしていた自分。
親子の距離の取り方の難しさに、本当にいつまでも悶々とした。

だけど、子どもの問題よりもむつかしいのは、
わたしの親との問題。

わたしは母親との問題をグチャグチャに考えていて
要するに、親離れが出来ていない娘だった。

母が辛そうにしている姿を見ると、
つい、自分から 何かしなくては と思ってしまって、
つい、自分から 何かしたくなってしまって、
問題に巻き込まれていく。

それは多分、母親の愛情を得たい一心で
認めてもらいたい、愛してもらいたい一心で
そんな風に 自分の中の心の装置が勝手に動いてしまう。

親業を学んで、
自分自身を取り戻す過程で、
わたしが自分自身を生きたいと 強く意識し始めた時、
自分の中の母を殺すことにした。
もう、それしか道はなかったから。

それは、想像以上に辛かった。
実際に身を切られるような 悶え苦しみで、毎日 自然と涙が出た。
苦しんでいる母の姿が頭に浮かんできて、辛かった。
そして、親不孝モノの自分を責めた。
いや、誰かから そのことを責められるように感じる自分に耐えた。
自分を大切にしたい、それでいいんだと、自分に言い聞かせた。

何年もかかって、ようやく かさぶたが出来た頃に、
また、娘が一番傷つく言葉で責める。
その言葉に観念して、自分のところに戻ってくると、祈っているのか?
そうやっていつも恐怖で子ども縛って、あなた方は子育てをしてきた。
でも、その言葉じゃ、もうイヤだ。

泣きそうな誕生日を過ごしていたら、夕方 実姉が手作りのプレゼントを持ってきてくれた。
姉の 見返りを求めない優しさに、顔を見るなり涙が溢れた。
そして、ふたりで泣いた。
姉も 愛情が親に届かない、辛い思いを抱えている。

夜になって、
長男(高1)が誕生日プレゼントと言って、来年の手帳をくれた。
”彼女”と選んでくれたそうだ。
嬉しそうに、得意気に、わたしの目の前に袋を差し出す。
”彼女”のお陰で 気が利く息子になったと 褒めて欲しそうだ。
母親の誕生日プレゼントを 一緒に選んだ 楽しい時間の余韻が伝わって、癒される。
ありがとう。
心身ともに健康に育つ息子。
不器用な愛の連鎖を止めるために、わたしがいる。