家の壁づたいに隣の寝室まで響く目覚まし時計の音で、わたしは毎朝起こされる。
長男(高1)が、朝早めに起きて犬の散歩をしよう、としてセットしたものなのか、
二男(中2)が、クラブの朝練に行くための余裕のある朝を目指そう、としてセットしたものなのか、
2人の目覚まし時計の音を聞き分けていない私にはわからないけど、
どちらかのものであることは確か。
そしてどちらも全く意味がないことも確か。

いつも彼らは急いでいる。

徒歩通学の長男は、最近家を出る時間が遅くなった。
以前より10分は遅い。

リビングの壁時計で、まず学校の登校時刻に目をやる。そこから我が家から学校までの所要時間を差し引いた時刻に目をやる。分針がそれに迫っている。
「今、7時45分」
「大丈夫?」「急がないと遅刻よ」と言う代わりに、時刻のみを伝えることにしている。

時間がどんどん経っていく。今日はヤバそうだ。「車で送ってやろうか?」あせる息子の姿を目の前にして、もし夫がここにいたら絶対に言っているセリフ。どうしようかな?言ってあげようかな?

言わないことにする。

その代わり、彼が何か言ってきても、非難がましいことを何も言わないで、黙って車を出してあげよう。
声がうわずらないように、心の中で”にこにこYES”の準備。

「もう、あんたって子は~早くしないからよ!しょうがないわねえ~」
私は、このセリフは極力言わないことに決めている。だって、私は絶対に送っていくわけで、
そんな場合、”いやいやYES”より”にこにこYES”の方がはるかに子どもの自立に対して効果的なのだ。

”お母さんがいてくれて助かったな~”と、純粋に思ってもらうほうが、後々絶対に”得”
「子どもの問題」と思うなら、わたしが怒る必要はない。
甘やかさないけど、いざと言う時に頼める関係。
親業では、自立するために必要な「正当な依存」。自分から「送って」と頼む行為も大切なんだ。

「正当な依存」で、母親の車に乗った長男は、進路のことで母親から話を聞かされる。
文系か理系か、進む道を決める選択。先日の定期考査で、自分の高校生活最高点をとった物理を捨て、文系に進むという彼に、不安いっぱいの母親。

彼の説明ではその点数は山が当たった”マグレ”だったらしいが、ちょっとの勉強で点数が上がるのは基礎が入っているからで、授業が超つまらないのはわかるけど、せっかくの得意分野で勝負しないのはもったいない。
そんな話をすると、
「非難されてるみたい」と一言。
「・・・・・・」
コンサルタントはムツカシイ。彼を信じていればもちろん任せてあげられるのだろう。
最終的には、それでいいんだ。でも、言っておきたいことがあるような気がする。
言いたいことを言わずにいて後悔しないように、そして結局伝えたいことは何なのか?わたしは考える必要がある。
これは「私の問題」だ。