あほらしい!
あほらしい!!

ホンマに

わたしが一生懸命
がんばって、

出来るだけ、怒らないように
機嫌よく、仲良く
毎日過ごそうと 思っているのに、

ホンマ、
子育ては あほらしい。
あほらしいぞ~

やりよった・・・アイツ(三男:小6)
また、ピアノのお稽古を サボった。(正しく言うと、忘れていた。)

二男は中2の 中間テストの期間中に、
遊びほうけて、疲れて寝てた。やる気なし。
「大丈夫?」 というと、ムキになって怒ってきたから、わたしも逆切れ。どうなってんの??

長男は、高校に入ってからずーっと 生活時間が 乱れて みえる
(一応課題はクリアしていると思うけど)。
本人が改心するのを待って、と思ってたけど、

あ~あ、今日は、なんか腹が立つ!!

一度、腹が立ってしまうと
もう!どいつも こいつも なのだ。

子ども三人を目の前に、一気に悪態をついてしまう。

わたしって、普段こんなに 我慢しているのかな?
感じないように していたのかな?

ゲゲゲッ 不満が・・・。

嫌なおんな。
自分の素性の悪さを 思い知る。

はあ~

一生懸命に 物分りのよい、オカンになろうと思っていたのか?
そんなんは、ムリだ。
わたしは、受容されて育っていない。
規制だらけで育ってきた。
夫とは違う。
(夫は、受容的に育っている)

子どもの事を 人格的に信用できるようになり、
彼らを、出来るだけ 尊重したいと 思ってはいる。
だけど、わたしは、
彼らを無条件に受け入れるのは ムリだ。
ムリなんだ。


あっ

そうだ。

それで いいんだっけ。
(こんなとき、いつもわたしは「親業」の本を読み返す)

彼らは確実に 自分の道を歩んでいる。

そうなのだ。所詮、母は捨てられる。
どんなにがんばってみても、結果は同じ。そう変わらない。
(母を捨てられない息子も困るではないか。)

それならば、自分の受容の限界を正しく知っておくほうが
いいのだ。
子どもも それを知りたがっているのだ。

対立は必ずある。
対立を恐れてはいけない。

だけど、わたしは 対立が苦手だ。
自分の中の ”イヤだ、我慢できない” を意識すると、
つい力を使って、子どもの行動を ”何とかしたい” と思ってしまう。

「・・・しなさい」
「・・・しなければ、クラブを辞めさせるよ」(脅迫:規制をかける)

そうではなく、

「お母さんは○○はイヤなんだ。」と
それだけで勝負する。
”親の力”を使わずに、自分という”人間”で勝負するのだ。

使える”力”を使わずに、我慢するのは、”精神的な修行”が要るが、
勝負どころを換えるだけなら、やりやすい。

わたしという人間の受容線を示し、価値観を示す。
後は、子どもに任せる。

だけど、これには、
母親も、何が正しいかわからないなりに、自分なりの考えを持ち、そして言い切る、
子どもに頼らない
強い気持ちがいるんだな・・。

正直、怖い。
でも、大丈夫。自分を信じよう。
ガンバレ!わたし。